SAT-046 NAKED SOWAN 〜ソワンと呼ばれた男〜 ライナーノーツ

PRODUCER’S TALK / 石田ショーキチ

ソワンことマエソワヒロユキ。まあまあの男前である。歌が上手い。ギターのセンス、特にグルーヴ感がいい。曲もいい。人柄もいい。なかなかの男である。

けど。彼のCD作品は、なんというか、もうちょっと届いてこないものが多くて。もっとこう、ソワンの魅力をきちんと録音してやる奴はおらんのかい、と聞くたびにいつも思っていた。ライブを見るたび、ライブはこんなにいいのに、CDはちょっと惜しいんだよなーといつも思っていた。誰かおらんのかい、ちゃんとソワンの魅力を録ってやれるやつは。

あ、俺か。

そんなわけで、SOWAN SONGからマエソワヒロユキに改名したこのタイミングで、過去の代表曲をちゃんと録ってみようぜ、ということになり弊社レーベルSAT RECORDSにお誘いした次第です。

「ちゃんと録る」って人によってすごく意味合いが違うのだけれど、これは実際にまわりと話していて感じる一般的に思われている「ちゃんと録る」とは、
1, 高級なスタジオで高級な機材で録ることだ-と思われていたり、
2, 名のあるミュージシャンに演奏してもらって録ることだ-と思われていたり、あと本当によくあるのが 
3, 最初はドラムが一人でクリック(つまりメトロノーム)を聴きながら一人できっちり叩いたのを録音して次にベースが一人で弾いて次にギターが弾いてと一人ずつ順番に丁寧に間違えないように完璧に弾いて録音していくことだ-と思われていたり。

全部正解のように見えて私に言わせりゃ全部無駄。

機材を扱う人間がちゃんとわかっていて必要十分な機材で録れれば機材の値段は問題ではないしスタジオの価格も同様、弊社はほとんど町田市の市民センターに自前の機材を持ち込んで録音するがそんなんでもミュージックマガジン誌で満点をもらう作品を作れる。高級なスタジオが好きで予算があるプロジェクトはそうすればいいが、それ以外がちゃんとしてないわけでは断じてない。

高名なミュージシャンにバックで演奏してもらうのもいいが、その演奏が本当にそのシンガーの歌を引き立てる演奏をしているのかどうか。そのシンガーにあう演奏を引き出せればそれは高名な人でなくとも全然いいわけだし、ましてや一人で演奏が完結していれば人の手を借りる必要などない。

一人ずつ順番に録るなんて本当に時間の無駄でしかなくて、普段練習でもライブでもみんなで一緒に演奏してそれがすごく良かったりするのにレコーディングになると無駄にバラバラに録ろうなんて、無意味に細かく重箱のスミのミスだけ見ていくような消極的な録り方は却って良さが何も残らないツマラナイ演奏になる。5人分のパートを順番に録れば全員一緒に録る場合の五倍の時間がかかる。こういうことやりたがる人本当に多い。アホか。

ソワンことマエソワヒロユキの場合、一人でギター一本で歌っている場面がメチャクチャいい。心にくる。これをそのまま真空パックして、少し色付けして鮮やかに映えさせるだけ、これがプロデューサーの仕事だと思いました。例によって町田市の市民センターで、2021年の10月から2022年の7月までの間に3回のレコーディングセッションを行い、すべてギターと歌を同時に録りました。普段のライブと同じように。マイクの種類と置き方はちょっと工夫してるけどね。

そうやって出来上がった本作・NAKED SOWAN 〜ソワンと呼ばれた男〜 
は皆さんが普段彼のライブで聴いているあの息遣い、あのリズムのノリ、あの声の圧、それらを全部そのまま、少し脚色してその世界観をぐっと広げることに成功した傑作となったと思います。自分でも想像を超えた仕上がりになりまして、少しだけ自画自賛することをご容赦下さい。傑作となりました。二度言いました。
https://satrecords.thebase.in/items/66694603

こうやって才能あるアーティストの作品を世に発表するお手伝いができるこの仕事は本当にやり甲斐のある仕事です。私がグダグダ説明するまでもなく皆さんが知っているあの才能、マエソワヒロユキ。刺さるでしょう、彼の歌。特に夜の場面を歌った曲がいい。これからも彼の生み出す作品を皆さんの元に届けるお手伝いが出来るといいのですが。応援して下さいね。

2022年9月28日 午前4時29分 石田ショーキチ

マエソワヒロユキ本人による全曲解説

#01 抱きしめたい 

誰しもあるであろう大切な人や動物、モノや感情を抱きしめたいという衝動。
その時感じる温度の分厚さ、反面その全てを一言で表現出来ないという言葉の薄さはメロディに乗せるとどうなるか。
が曲を作るきっかけだった。自分の子供が生まれた事も大きく影響してるのだろう。
熱くなり過ぎない様に想像の誰かが愛する人を抱きしめたいという気持ちを書き始めたように思う。
出来上がりは充分に熱いけど。でも自分事として書いていたらもっと暑苦しい事になっていたんじゃないかな。
曲のベースになるものを探して何気なく世界の民謡をあちらこちらと聴いてるうちにアルゼンチンのフォルクローレが気持ちにフィットした。
それらをベースにしている自分にも馴染みのある有名な曲を探していると、アニメ”母を訪ねて三千里”のオープニング曲に辿り着く。
その曲”草原のマルコ”を聴きながらギターを弾いた。たくさん弾いた。そのうち曲も聴かずひたすら弾いた。
そうしてあのリズムが徐々に出来上がっていった。だから当たり前だが純粋なフォルクローレではない。でもそれでよかった。
歌詞は言いたいことが決まっていたのですんなり。曲中の”抱きしめたい”というフレーズもメロディなんかつけない。
衝動的に抱きしめたくなるんだから叫べばいい。

言葉が汚した 僕らを汚した
気持ちを誤魔化して伝わらない

ここが自分のお気に入り。
”抱きしめたい”と叫ぶことや、それをタイトルにつける事(同タイトルの有名で素敵な歌がたくさんある。)は
子供が生まれる前ならナシだったかもしれない。息子のおかげでそういう選択ができるようになった。
というかその他を思いつく気配がまったくなかった
今でも歌ってる時、誰かのストーリーの上に自分の感情が乗っかってる不思議な感覚がある。
誰しもあるであろう大切な人や動物、モノや感情を抱きしめたいという衝動。
この曲を聴いてそんな瞬間が聴いてる人の中で動き出してくれたらいいなと思っています。
#02 春のダンス

栃木県日光市に田母沢御用邸(たもさわごようてい)という記念公園がある。ある年の春、日光市に遊びに行って街ブラしてる際、偶然見つけて入った。
なんとも趣のある建物。特に詳しい訳でもないが昔から建築物が好きなのもあって大いに楽しめた。部屋からの眺望、畳の縁の位それぞれの柄や素敵な違い棚、お偉いさんと仕えるものが同じ建物に暮らす様が目の前に動いている様だった。
ある廊下を歩く先に丸窓が現れた。その窓の外にはそれはそれは立派で美しい枝垂れ桜が咲いていた。そこでしばらくボーッと眺めてるうちに曲を書こうという気になってきた。
妄想。そして妄想。昭和初期?このお屋敷に住んでる美しく優しい娘。そしてここに通いで仕える仕事をしている母を持つ少年。少年が母に届け物をした時にたまたまその娘に出会い一目惚れをする。しかし当然話する機会を得ることはない。そのあたりの設定をメモして帰り、その時期が卒業シーズンなのも相まって身分の違いから成就することのない恋をする少年が妄想の中で卒業前のラストダンスを踊るシーンを描いた作品に仕上がった。なんとも妄想がすぎる。笑

春のダンス 今も思い出す
あなたを夢中で想う僕を

これが最後のフレーズ。妄想していても必ずどこかに自分の想いは乗っかってくるものだ。このフレーズは自分の経験とも重なっている部分があると思う。
人は忘れる生き物。あんなに好きだったのに時間と共にその頃の絵はぼんやりしてしまうこともあるでしょう。でもその時に感じた自分の中の高揚感、温度は意外に思い出せるんじゃないかと思う。この曲で思い出してくれたら嬉しいな。
#03『ネオンの鳥』について。

出来たのは2007年夏あたりか。元々具合いが悪かった母の病の進行速度が増し始めた時期だった。色々揉めながらも手伝いを兄弟で分担し、頻繁に東京から大阪に帰っていた時期でもあった。
時間、金銭的にすごく大変だったけれど、兄達が家業を継がず残された僕も兄弟の中で一番遠い東京へ出たということが少し負い目だったり、大阪を離れる朝に父は見送りに出てこなかったけれど母は『あんたの人生や、頑張りや。』と言いながら右手で固い握手をしてくれたその右手が病の麻痺によって不自由になっていた事も僕をひたすら頑張らせる要因になっていたように思う。
しばらくして大阪で山盛りの所用をこなし少し落ち着いたある日の夜、東京への新幹線の中かなり疲れているはずなのに眠る事も出来ずに窓の外をボーっと眺めてるとお酒の会社?パチンコ屋?か何かのネオン看板が光っていた、、はず。というのも後から新幹線に乗って確かめようとしてもそんな看板は見当たらなかった、、ひょっとしたらどこかで見た鳥が飛び立つネオン看板の記憶が窓の外の景色に混ざっていたのかも?しれない。まぼろし?それくらい疲れ切っていたと思う。
そうして窓の外を眺めながら気がつくと子供の頃の事を思い出していた。
思い出していたのは寝る前の事。僕は夏のクーラーの効いた部屋の中、分厚い布団でぬくぬくになるというのがすごく好きで、子供の頃の事なんてほとんど忘れているけれどその事だけはすごく覚えている。それは家だったり、旅行先だったり。でも今思うとそれは家族で一緒にいるという安心があったから幼い僕は一層気持ちよかったんやろうね。今そこへ戻りたい。あのぬくぬくに戻らせてくれって窓の外見ながら思っていた。
それからも眠れず新幹線の中なんとなく歌詞にでもなるといいなくらいの気持ちでメモを始めた。あっという間に書けたと思う。家に持ち帰り、あらかじめあったギターフレーズの断片に乗せてみたら、”お!いいかも!”となって少し調整しながら次の日には完成したように思う。自分でもびっくりするくらいあっという間だった。もしかしたら疲れすぎててあっという間に感じただけかもしれないけれど。
この曲に関しては妄想はない。疲れすぎての幻影は作用しているけれど。
追い込まれて溢れ出てきたシンプルな感情をすくいあげた事で聴いた人にもわかりやすい曲になってるのかもしれないね。
聴いた人がみんなネオンの鳥に乗ってほんのひととき、ぬくぬくの場所へ帰ることができるといいなと思っています。
#04『100本目のたばこ』について。

この曲は今歌っている曲の中で2番目に古い曲。作ったのは20代後半だと思う。1番は『弾丸スローモーション』という曲。
当時『ラン・ローラ・ラン』という映画を観にいった。ドイツで大ヒットしているっていうふれ込みもあったように思う。内容は3編構成で全て序盤のストーリーは同じ、途中で主人公ローラが選択する行動によって3編それぞれ結末が変わるというお話。人は常に選択して生きていてその選択によってその後は変わっていくという事。例えば僕がショーキチさんのアルバム録音の誘いをお断りしていたら今こうして解説を書いていることもなく、一体この時間は何をしていたやろうね。
映画を観終わった後も”選択する”ということがずっと気にかかっていた。映画館を出ようとすると先の公開予定作品のポスターの中に『200本のたばこ』というタイトルがあり、そのタイトルが妙に引っかかりながら家路についた。でも『200本のたばこ』は未だに観ていない。
家について妄想開始。あまり覚えていないけど”200本のたばこ”をいじってる間に『100本目のたばこ』というタイトルが完成。確かこの曲はタイトル先行で始まったと思う。
100本目という事は多くのタバコだと1箱20本入りなので5箱分。タバコを吸い始めて5箱目なんていうのはまだタバコの美味しさもちゃんとわかっていない、カッコいいから吸ってる位の時期の人も多かったんじゃないかと思う。要するにまだまだ”青くさい”時期ということだ。
当時僕もタバコを吸っていた。ランローラランの映画のように3編に分けながら、吸い始めの時期から当時の自分までの人生の中にある”選択”を思いながら妄想と現実を行き来して書いたんだと思う。

『100本目のたばこ すべてが始まりかけた頃
やっと好きな人に夢中になれること知った頃
大人になれたどちらかが 謝っていられたなら
今ごろ ふたりは』

ここはおそらく自分の気持ちに一番近いところかな。いつもここを歌っている時が気持ちの揺れが一番大きい気がする。
この曲の中で主人公は選択に失敗している。でも歌詞最後の『今ごろ ふたりは』で理想を思い描いている。誰にでもある選択ミス。でもそうする度に理想がはっきりしてくる。
失敗は成功のもととはよく言ったもの。曲を聴いてどこかの選択ミスや謝りたい顔が浮かんだ?その先に自分にとっての幸せがきっとあるはず。
#05『朱いダンス』について。

どういう経緯だったかは全く覚えていないが、ある時”朱墨”について書かれている記事を読んでいた。日本や中国において昔の蔵書印で朱色が使われる事が多く、それは墨色より経年による色褪せがほとんどないからだそう。
印鑑に朱肉を使うことから見ても文化の流れにおいて日本でもその傾向が強く、大切な書に押す印は朱色がほとんどだったそう。
確か曲を書かなきゃいけないって時期で記事などで気になったワードを使ってなんでも歌にしてみようと試みていたように思う。
僕は『春のダンス』にもあるように恋愛とダンス(昭和初期の社交ダンスの様な)を何故かどこかで結びつけているようで、この時も記事に書いてある”色褪せない”と恋とダンスを結びつけて書いてみようと思った。色褪せないとしている時点でこれは終わった恋。恋をしている時は燃え上がる”赤”だけれど、終わってしまった記憶の中で色褪せない恋は”朱色”。だから『朱いダンス』だ。
歌詞での言葉選びが何故こうなったのかは覚えていないけど、サビで感謝、Bメロで至らなさへの後悔を対比させながら書いていった。実のところ書いてる間の妄想の中には女性への想いを募らせる男性の主人公のそばでタップを踏んでいるピエロ?みたいなのがいたんです。歌詞には表してないので誰にもわからないけどぼんやりいるんですピエロ。ちょっと怖いね。笑

『ありがとう 僕の恋人よ
違うステップでまたいつか
ありがとう 僕の恋人よ
甘い夢を見させて』

妄想で書き連ねながらもこの部分は自分の気持ちが乗っかっている所かもしれない。”違うステップ” は違う出逢い方、もしくは生まれ変わったらとも取れる。
記憶の隅に朱印を押してある思い出が曲を聴いている数分だけでも赤く燃える思い出として蘇ってくれたらいいなと思っています。
#06『虫の音』について。

バンドが無くなったのが2002年だったか。そこから悶々とした時期を過ごしながら自分なりに準備をして2003年10月、32歳でひとり『SOWAN SONG(ソワンソング)』を名乗り活動を始め、この曲は2005年にリリースした1stアルバム『ノスタロジカル』に収録された。
作ったのは確かその悶々としていた時期。解散したバンドというよりバンドそのものへの憧れや未練があったんやろうな。一人なのに『SOWAN SONG』って名乗るなんてね。そのうちメンバー集まったらそのままバンドにとでも思ってたような。相当悶々としていたんやろな。
当時少し歩いて坂を下っていくと多摩川に出られるっていう立地にあるアパートに一人暮らししていた。仕事を終えた風の気持ちい夜なんかはしょっちゅう多摩川のほとりでボーッとしていた。家にいても不安まみれになるしね。まぁ多摩川のほとりに居たって、こんな活動続けていけるかななんて考えてたけども。
そんなある日虫の音は聞こえないけどとても月が綺麗な日があった。案の定?妄想が始まった。虫の綺麗な鳴き声が響く。それをわざわざ聴きに来る人がいる。ある時友達を連れて聴きに来るようになる。そんな設定が頭の中にチラチラ浮かんだように思う。そこからツラツラと歌詞を考えたのかな。
結局自分自身が虫で、歌の中の主人公はどこかの誰かという設定に。虫はとても小さい存在。強風が吹けば飛ばされるし、何も気にせず踏み潰されるかもしれない。でも綺麗に鳴こう歌おう。そうしてるうちにその鳴き声が大好きになる人が現れて大切な人を連れてくるかもしれない。不安まみれだった当時の俺の小さな覚悟だったのかもしれない。
でも現実的には人前で弾き語りをするなんて想像を絶する行為。バンドの時は曲作りでギターを弾いていた程度。それでもなんとか工夫してライブバーでの対バンライブで爪痕を残していこうと思って採用したのがオープンチューニング。通常のチューニングではなく例えば1~3弦と6弦のチューニングを下げてギターのどこも押さえずジャラーンと鳴らすだけでDの音が出るという様なチューニング。押さえ方によってとてもコードの響きがいい。歌詞の世界観にもあっている。
で、ここからギターのフレーズを考えていくのだが大体このあたりをこう押さえると綺麗な響きになるなぁという押さえ方を見つけ出してはメモってその組み合わせで曲を作っていった。なんという作り方。笑
でもとにかく必死やったんやね。例えば20歳からシンガーソングライターで弾き語りをやろうとしてる人から12年も遅れているわけだから。
今回は当時の俺に『良かったな。この曲をご縁に色々繋がってなんとか50過ぎるまで続けてアルバムが作れた。お前よく作ったなえらいぞ!』って言ってやりたい気分もあってこのアルバムに入れることにしました。良かったら月の綺麗な夜、河原で聴いて見てください。大切な思い出が月に丸く透けて見えるかもしれませんよ。
#07『江ノ島心中』について。

カップルが訪れると”別れる”という場所がある。地元大阪豊中に住んでた学生の頃はエキスポランドという遊園地に行くと”別れる”とよく言われたものだ。
ある時関東にとってのその一つが江ノ島だと聞いた。だから江ノ島に行ってみたよと言いたいところだが、海沿いでのライブの翌日、手前までは行ってみたものの奥は人が多く疲れそうなのでやめた。だから正直江ノ島自体の事はほぼわかってない。でもわかっていなくて雰囲気だけを感じたことのある場所の方が妄想はしやすい。
とかく日本人はイケナイ恋を超叩くのにドロドロの恋を描いた映画が大ヒットするという、どないやねん的な国民性があったりする。だからと行ってドロドロの恋を描きたくもないし、なんだか美しくもない。”別れる”というテーマともなんだか違う。
それで男女のあれやこれやを調べてるうちに『心中』という言葉にぶちあたった。なんてシンプルなフォルムで美しい響きなんだろう。そういえばタイトルに『曽根崎心中』『六本木心中』と色々使われている。その上調べたら「男女が互いの愛情の変わらない事を示すため、一緒に自殺すること。情死。』とある。『情死』。もちろん自死はあってはならない事だが、、、これしかないと思った。
好きすぎて一緒にこの世からお別れしてしまう。もしくはそれくらいの気持ち。『江ノ島心中』。これはもう揺るぎがなかった。これで絶対仕上げようと思った。そしてこういうのは時間をおいてしまうといいものに仕上がらなくなる可能性もあるので、この曲作りにすぐ時間を割いた。
ストックしてあったイントロのベース音がG,B,C,F#と動くフレーズ。このテーマにはめる前はもう少しテンポよく動いていたがこのテーマのためにあのあたりのテンポに落ち着いた。

『引き潮の砂の様に 絡まってこのまま 溶けてゆけ』

この歌詞が出来た時にこれは完成すると思った。実際に心中しようがしまいが気持ちは情死に近く、重くなりすぎず深い表現ができたかなと思っている。スピードの速い世の中ではあるけれどたまには少し止まってこの曲に浸り、少し深いところで情の揺れを感じる時間があってもいいよね。
#08『かわいい君』について。

息子がまだ2~3歳だった様に思うので、たぶん2011年~2012初頭あたりかな。部屋を整理してると昔のノートが数冊出てきてその中に”詩集”みたいなものが。。恥ずかしがることもないのだがやはり恥ずかしい。いつ書いたのか、、?でも確かに自分の字だ。わーこんなの書いてたのかキャーなんて思いながら読んでいた。だいたいの詩は特になんてことはない。笑
こんな事書き留めたい時期があったんやな~と読み進めるうちに『煮詰まった僕が ひざを抱えて 悩んでる 笑ってる』という一文だけが書かれたページが出てきた。ん。なんかこれだけは意味深で何かが詰まっている気がすると思いページを切り取っておいたのがこの曲を作るきっかけになった。
SOWAN SONGを始めて2009年まで5~6年自分なりにガツガツ活動した。”虫の音”の解説にも書いた様に遅れを取り戻さないと思っていたのかもしれない。もちろんそれで繋がっていった大切なご縁や聴きにきてくれる方が増えたりと嬉しい事もたくさんあったけど、自分の変に素直すぎる所と不器用なとこが大いに混ざり合って出来ないくせに頼まれて断りきれず失敗したりした事など色々とありながら段々と”今の自分は自分らしくない”っていう気持ちが大きくなっていた時期だった。
そんな時期に息子が産まれ、それはもう嬉しくて可愛くて。正直言うともう音楽活動やめてしまおうかと微かに思ったこともあった。でも今も続いている楽しくありがたいご縁や聴きに来てくれている皆さんの顔や何よりまだ歌いたいと言う気持ちがそれを抑え込んでいた。
そんな渦巻く、それこそ煮詰まった様なその時の気持ちが切り取ったページの一文にマッチしたんだと思う。
なので歌詞を書き進める時は妄想と現実が入り乱れながら進んだのも覚えている。サビ前半は”彼女”が出てくる。なのでおそらくカップル?の想定。でも”振り向いたら風が止まった やるべき事はまた明日”と言うところでは現状に悶える父と無邪気な幼児。というように。そのうち妄想と現実の共通項を考えるようになって

『かわいい君が邪魔をする
かわいい君を見つめてる』

と言う歌詞が出てきた。うんそうだ。言いたいことはこれだと。これを歌いたい。一気に作るスピードが加速した。
この歌詞を歌の最後に据えてここに向かって突き進む歌にしたくなった。コード進行、リズムは淡々と。僕の中では煮詰まってる頭の中を表現している。
この歌が完成した事でしんどかった時期を突破できた気がした。今でもエンディング最後にブレイクする度、何かを突破した気持ちになる。しかし良かった、あの時期にやめなくて。今後も色々あるだろうがその都度これを歌って突破していきたい。
#09『透明パズル』について。

タヒチ80と言うフランスのバンドがいる。この曲を作った当時、デビューアルバム『Puzzle』(パズル)と言うアルバムが好きでよく聴いていた。曲が好きなのもあったがこのアルバムのジャケットがなんだかずっと気になって好きだった。理由は全くわからない。笑
カップルが浜辺?で佇むワンシーンをイラストにしてある。大きく捉えれば人生のワンシーンでもある。そしてタイトルの『Puzzle(パズル)』。このワードから大きなテーマで曲を作れるかもと思い、曲作りをスタートさせた。
とここまでは覚えているが、正直この曲をその先どう作っていったのか、、覚えていない。。
今自分で歌詞を読み返してみてもよくできてるなぁと少し他人事の様な気持ちになる。
そんな気持ちだったからか、アルバム『36』に収録されリリースされてもそんなにはライブで演奏しなかった。
数年してお客さんから『透明パズル』をもっと演奏してほしいという声がチラホラ出るようになった。そうして最近ではよく演奏するようになって、自分で書いておきながら

『土に帰る頃 ラストピースをはめ込んで あなたを愛せれば それでいい それでいい』

と言う部分に深く頷いたりしている。他にも

『誰かとの毎日は 透明なパズルで』

ほんとにそうやね。自分の居る絵を作るのに毎日ピースをつなぎ合わせるように生活しているんやから。15年前の自分に色々教えてもらっている。

『何も言わずに 手を繋げる』

喋らずとも一緒に居て落ち着くことが一番いいことと普段から思ってるところがあるからここはその部分が溢れ出て歌詞になっている所かな。今ではとても好きな一曲になっている。もっと演奏してほしいと言ってくれたみなさんに感謝。その一言一言も大切なピースって事かな。
そういえばニール・ヤングの様に歌えたらと思って最初は作り始めた様にも思う。でも当たり前だがやっぱりリズムの取り方が違うのよな。やっぱり日本の血が流れているって感じ?今が悪いという訳ではないよ。でもあと10年くらい歌い続けて理想の間合いになっていけばいいなと思っている一曲です。この曲のパズルにはまだピースが必要ってことか。
#10『いけない、唇』について。

確かこの曲を作ったのは2014年の初頭だったか。2013年に母が他界し残された父も高齢で心配の募る日々だったと思う。”ネオンの鳥”を作った時と同じ様に疲れが溜まってきてたのかな。
父はゆっくりではあるけど普通の生活を送っていたので、父には悪いけど疲れた僕はちょっと雲隠れしたい気分になった。だから最初に出来た詞のフレーズは

『さぁ逃げよう もうたくさんだ』

だったと思う。ちょっとひどいね。最初につけたタイトルは『真夜中のパトカー』。うん。ダサい。笑
よっぽど何かに追われていたんやね。RCサクセションの『ベイベー逃げるんだ!』も頭の中鳴っていたように思う。
そこまできっかけとなるイメージはあったけど、タイトルはダサいし、逃げるだけではつまんないなぁと思いながらまた妄想が始まったんだと思う。
とびきり色っぽくしたいと思った。そうすることで疲れてしまった現実から逃げられる上に楽しい瞬間を作れるだろうとも思った。都会の夜中、意中の女の子の手を引いて追っかけてくる色んな闇から逃げて一晩中遊ぶ。映画ポンヌフの恋人に出てくる橋の上で二人が激しく踊るシーンとか。そんなイメージで歌詞を書いた。
サビのコード進行はE♭m9ーA♭7ーD♭M9ーB♭m7と洒落た進行でほんとなら南米あたりのダンサブルなリズムで演奏するといいのかもしれないけれど、心踊りながら走っている(逃げている)ような気持ちで弾いてるうちにああいうグルーヴ感になっていった。

『欲しいものはただ 温かいスープのような
闇をかわせる さりげない温度』

やっぱりここでも温度が出てくる。疲れた僕は冷え切っていたのかもしれないな。今でも歌っていると映画の世界にでも飛び込んだ様な誰にも邪魔されない火照った気持ちになれるんです。聴いてる人もそんな世界に引き摺り込めてるといいな。
#11『モンシロチョウ』について。

この曲を作ったのは2007年頃だろうか。フワッと明るいみんなで歌えるような曲が作りたい。その前までよくやっていた『恋のオレンジジュース』って曲があるけどそれよりもっと皆で歌える感じのが作りたいと思って作り始めたんだと思う。
どういうきっかけで”モンシロチョウ”に焦点が合ったかは忘れてしまったけど、モンシロチョウを”問白蝶”という当て字をして歌詞を考えてみようと思ったのは覚えている。自分にとっての”白”すなわち自分にとっての正解を自分に問うという感じ。手で掴めるもの、目に見えるものしか信じないという人もいれば、目に見えてるものより感じとる匂い(空気感)が信用に足るものかどうかが判断基準だとか、人には色んな経験の末に様々な考え方が出来上がる。
ということは結局『勘』だ。その人が培ってきた『勘』が全てなんだなということに行き着いた。心の眼とも言える。これといった正解はない。そしてその考えを纏ったモンシロチョウがフワフワとどこまでも好きな方角へ飛んでいるイメージで曲を書いた。

『あなたが好き 飛ぶ 飛ぶ』

は我ながら変わった歌詞だと思う。この部分が出来たときは大丈夫かなぁと思った。一番最初に歌った時はめちゃくちゃ緊張したのも覚えている。当時は対バンも多くて違う歌い手を目当てに観にきているお客さんに対しても『とぶ と~ぶ!♪』って叫んでいた訳だから「なに言うとんねんこのおっさん」と思った人もいたやろなぁ。。
これを読んでいる皆さんの勘はバッチリです。素晴らしい勘で僕を見つけ出してくれました。これからも僕にまとわりついて確かめて『あなたが好き 飛ぶ と~ぶ!』と叫んでください。その一瞬があるだけで僕らはこれからも元気に生きていける様に思います。
#12『夜の水面』について。

この曲を書くきっかけになったのは当時誰かが話していた『毎日なかなか眠れない』って言う話からだったと思う。僕自身は全くそんなことはなく、眠れないなぁって思ったのは人生で10回もないかもしれない。だいたい横になればすぐに寝てしまう。だからこそ眠れないって事を妄想してみよう、歌にしてみようと思った。眠れないってどういう事なんだろう。病気によるもの以外なら妄想で何かストーリーが出てくるかもしれないと思い描き始めた。
イントロで流れるギターのフレーズ。まるで水面に水滴が落ちた時の波紋のようやなと思いスケッチしていたものを引っ張ってきてこの曲にあてた。
僕が眠れなくなることがあるとしたら、、全く自分ではない嘘の自分を振る舞った時かもしれない。少なからず当時の自分もそういうところがあったから自分の気持ちも乗せることができるとも考えたのだろう。

『今夜は眠れない 自分に嘘をついたから
背伸びをした分だけ 夢が短くなる』

すぐ眠る事ができれば夢は長く見ることができる。いい夢か悪い夢かは置いておいて、夢は自分の見たものや考えを反映して、頭の中を整理したり体の組織を修復し免疫力をアップする効果もあるとも言われている。

だから眠れず”夢が短くなる”のは何も整理されず立ち止まっている事になる背伸びをすればするほど気になる事が増え眠れず立ち止まる。繰り返すうちに麻痺して、いったい自分らしさはどこにあるのか。。
そんな風に考えながら少し時間をかけて歌詞、メロディ、コードを同時進行で仕上げていった様に思う。
どうもこの曲は聴いた人のイメージが色々分かれる印象がある。収録されてる2ndアルバム『瞬間線』がリリースされた時期はもちろんよく演奏していて当時はライブでアンケート用紙を配って書いてもらっていたりしたけど解釈が結構バラバラだった記憶がある。なので解説もこれくらいにしておこう。結局の所、歌は自由な解釈で受け取ってもらってなんぼやからね。
#13『気をひくあの子』について。

2021年の4月、ショーキチさんの誕生日ライブにゲストで呼んでもらった時のこと。ライブ2日前くらいに急に思い立ってプレゼントに曲を書いて行こうと考えた。書けるかわからないけど、無理ならいい酒でも買っていこうくらいの気持ちで作り始めたのを覚えている。よし、今現在からライブ中までをショーキチさんになりきって?妄想してみよう。
普段から自分でセルフブラック企業の代表だと言っている様に確かにしなきゃならない事は常に山積みのようだ。だからAメロではちょっと辛めの描写、本当はずっと料理でもして美味しいものに囲まれていたいのにって事を書き連ねたんだと思う。
Bメロはそれでも歌い続ける理由だ。これまでファンの皆さんを信じて書いてきたものがメロディというタイムマシン?時代飛行機?に乗ってファンの皆さんの声援という風力で今日まで運んでもらった。ありがとよ。君たちの為に今日も俺は歌うぜ!的な思いを裏に秘めた歌詞にしたつもり。
そしてサビに。曲自体も少しブルージーだったAメロから段々とロック調に変貌していく。
ライブ当日妄想。会場は町田ノイズ。ファンの皆さんはハッピーバースデイ!を叫んで超絶に楽しそうだ。この瞬間があるだけで演者も客席の皆さんも世間や自分の周りの歪みから解放される。歌うショーキチさんに見えるのは満面の笑顔で”気をひくあの子”とこんな風に組み立てていきました。
思いのほか順調に仕上がり、ライブで演奏→好評→持ち歌→ボーナストラックまでトントン拍子に格上げされていった一曲となりました。この曲がこのアルバムに入っている事、感慨深いです。僕にとってもボーナストラックですよ。ほんと。
この『NAKED SOWAN~ソワンと呼ばれた男~』いいなと思ったら是非たくさんの人に教えてあげてくださいね。僕ももちろん嬉しいし、最高のサウンドデザインをしてくれたショーキチさんもめちゃくちゃ喜んでくれるはず。
ここまで読んでくれて本当にありがとうございました!!今度は皆さんの感想を聞けるのを楽しみにしています!

2022年10月19日(水) 午後12:25   マエソワヒロユキ